環流するエネルギーの象徴である蘇生を繰り返し目的へ向かう神話
出雲神話に残る大国主の蘇生の物語は、鳥取県西部から島根県東部に集中してあり、古代においても重要な場所であったことをうかがわせます。
赤猪岩(あかいいわ)神話
大国主(オオナムジ)の兄弟である八十神たちは、因幡のヤガミヒメに求婚するが断られ、姫に選ばれた大国主を殺すことにしました。
伯岐(耆)国の手前の山に大国主を招き寄せ「赤い猪がこの山にいる。我々が一斉に追い下ろすから、お前は待ち受けてそれを捕らえよ」と命令し、猪に似た大石を火で焼いて転がし落としました。
大国主は石に焼かれて死んでしまいましたが、母の願いにより高天原より遣わされた2つの貝で蘇生した・・・というのが赤猪岩神社で、この時落とされた岩を祀る神社が鳥取県南部町にあります。
また、この神話には続きがあり、大国主が生き返ったことを知った八十神は、大木を切り倒して楔(くさび)で割れ目を作り、その中に大国主を入らせ再び殺してしまいました。再び母によって生き返る事が出来た大国主は八十神から離れるため木の国を経てスサノオのいる根の国に向かいます。
大国主命を主神とし、その御親素戔嗚尊(すさのおのみこと)、さらに、稲田姫命を合祀する。古事記によれば、大穴牟遅神(大国主命)には、八十神といわれる多くの庶兄弟があり、かねてからその才能をねたまれていた。稲羽の旅の途次、気多の前(現在の白兎海岸か)で白兎を救い八上比売に求婚してこれを得たことなどから八十神たちの恨みを買った。
出雲への帰路「伯伎の国の手間の山本」で八十神は、「赤き猪この山に在り、われ共に追い下しなば汝待ち取れ 若し待ち取らずば必ず汝を殺さむ」といい、猪に似た石を焼いて転がし落とし、大穴牟遅神はその石を抱いて落命した。その母刺国若比売(さしくにわかひめ)は泣き泣き天に上って神産巣日之命に訴え、キサガイ比売(赤貝)とウムギ比売(蛤)を遣わされた。その貝殻を削った粉を清水で母乳のように練って塗ったところ蘇生して「麗しき荘夫(をとこ)になりて出で遊行きき。」とある。
「伯伎国の手間の山本」を、現在地(寺内字久清)として赤猪岩神社は祀られている。
黄泉比良坂(よもつひらさか)
スサノオの家まで来た大国主は、スサノオの娘のスセリヒメ(須勢理毘売命)と恋仲となります。スサノオは大国主に様々な難題を持ちかけて殺してしまおうとしますが、スセリヒメの知恵と大国主の機転でそれらを次々と突破し、ついに婚姻を認めさせ2人で新しい国づくりを始めました。
その国づくりをスサノオが認めたのが黄泉比良坂です。イザナギ、イザナミの黄泉の国往還の舞台ともされるこの場所は、現在における国境や県境の役割と、異文化交流の窓口の役割を同時に果たしていたと考えられます。