赤猪岩神社

再生神話でもっとも重要な再生・蘇生・次なる発展への出立の地

赤猪岩(あかいいわ)神話

再生・蘇生・次なる発展への出立の地

赤猪岩神社蓋をした岩

古事記によりますと、オオクニヌシは兄弟神たちに、大猪と偽って実は真っ赤に焼いた大岩を捕まえさせられ、大やけどを負って殺されてしまいます。それを悲しんだ母神と二人の女神の手によってオオクニヌシが生き返ったという地に立つ神社。オオクニヌシ殺害に使われた大岩は境内の土中深く埋められ、大きな石で幾重にも蓋がされています。


赤猪岩神社の伝説

祭神 大国主命 素戔鳴命 刺国若姫命 稲田姫命
例祭 四月五日  十月五日

当社の創立年代は不明ですが、西暦712年に編纂へんさんされた古事記こじきには以下のように記しるさ れておりますから編纂へんさん時の712年から遡さかのぼること数百年と推測されます。

赤猪岩神社やしろ赤猪岩神社石段

『兄弟の八十神やそがみ達と因幡いなばの国の八上比売やがみひめを訪ねる途中、怪我をした兎うさぎがいました。
八十神やそがみはその兎を更に苦しめるようなことをしたのですが、大穴牟遅おおなむじ神(=大国主命)は可哀想に思い治療方法を教えました。 喜んだ兎は「八上比売やがみひめは八十神やそがみの言葉には耳を貸さず、貴方を選びます」と言いました。
実際その通りとなり、 腹を立てた八十神やそがみ達は大穴牟遅おおなむじ神殺害の計画をたてました。
伯耆ほうきの国の手間てまの山の麓ふもとにさしかかった時、八十神やそがみ達は大穴牟遅おおなむじ神に 「この山に赤猪あかいのししがいる。俺達が追い出すからお前は待ち伏せて捕まえろ。失敗したらお前を殺すぞ」 と言い、猪に似た大石を火で焼いて転がして落としました。大穴牟遅おおなむじ神は、その石を捕まえた時に火傷を負い、亡くなりました。
これを知った母親の 刺国若姫命さしくにわかひめのみことは嘆き悲しみ、天に上り神産巣日之命かみむすびのみこと(=生成の神)に嘆願たんがん しましたところ、神産巣日之命かみむすびのみことは蚶貝比売きさがいひめ(=赤貝)と蛤貝比売うむぎひめ(=はまぐり)とを 遣つかわし、治療させました。
蚶貝比売きさがいひめが赤貝を焼き削って作った粉を、蛤貝比売うむぎひめが清水で母乳のようにして塗ると、
大穴牟遅おおなむじ神 は完治して元気になり、歩き出しました』

赤猪岩神社林赤猪岩神社岩囲い

古事記こじきに記しるされていますように此この地は、大国主命おおくにぬしのみことが遭難され、母神の愛と二人の女神の手により 再生された地であります。
御再生後、大穴牟遅おおなむじ神は大国主命おおくにぬしのみこととなり、英明えいめい、温厚篤実おんこうとくじつ、 仁慈博愛じんじはくあい、堅忍不撓けんにんふとうの精神を発揮され、幾多いくたの辛酸しんさん をなめつつ出雲いずも、伯耆ほうきを本拠として山陰、山陽、北陸までの国土を御経営になりました。
この三人の女神なくして大穴牟遅おおなむじ神の御再生は無く、後に大国主命おおくにぬしのみこととなって国を経営 することもできませんでした。
古事記こじきは「女性の力無くして男性の成就じょうじゅは無い」ことを、後世の人々に伝えております。
また、大国主命おおくにぬしのみことに火傷をさせた「猪に似た石」は、地上にあってこの地をを穢けがさないよう土中 深く埋められ、大石で幾重いくえにも蓋ふたがされています。
その周りには柵さくが巡めぐらされ、 注連縄しめなわが張られております。
これは「厄わざわいの元凶げんきょう」に対する注意を、 子々孫々ししそんそんまで忘れてはならないことを教えております。
以上、当社は「受難じゅなん」「再生さいせい」「次なる発展はってんへの出立しゅったつ」の 地として、千数百年以上の長きの間知る人ぞ知るところの神社であります。大国主命おおくにぬしのみこと存命中は言うまでもなく、亡き後も、 この地を訪れ再起に御神性の御加護を願う人は数多あまたであったと伝えられております。

明治4年、無挌社に列せられる。大正6年久清神社、同9年に山頂の赤猪岩神社を合祀

更新日: 2008-07-03